’11年topics 
 2011年(平成二十三年)、69歳になる。今年も、元気に、歳を忘れてchallengeだ〜。


 家族で集う正月の幸せ(2011年1月2日)
 2010年が通り過ぎて行った。身の周りでは、厭な想いが多い1年だった。年の暮は、例年通り庭のミカンの寒囲い(写真ー1)をし、年賀状を出し(写真ー2)、松飾(写真ー3)をした。上さんが、「近所では松飾などしてる家は見当たらないよ!」と、私の行動が如何にも奇抜に想えるらしい。そう云えば、正月国旗を掲げる家も無くなったな〜。
 都会の人って何でこうも情緒を無くしてしまったのだろう。ある人が言ってたな〜・・・元旦も街は人が溢れ、普段通り店は開店し、季節感もヘッタクレも無し。365日働き通してる感じがする。元日位は全国民が、”自分が立ってる社会や国を想い”、”家族の幸せを喜び合う”為の特別な日と定め、社会のインフラ施設や救急施設などを除き全ての商売・仕事を禁止する法令を定めたら如何だろう。
 お陰で、我家は家族全員が集い、年を越し、初詣をし(写真ー4)、うらら陽だまりで寒梅(写真ー5)を観賞し、幸せな元日を過す事が出来た。世の中はともかく、我が家族だけでも出来る喜びを感謝しよう。
(写真ー1)寒囲い
(写真ー2)年賀状
(写真ー3)松飾
(写真ー4)初詣
(写真ー5)寒梅


  ユズジャム造り(2011年1月26日〜27日)
 自宅の庭の花ユズ2.5kg(写真ー1)でユズジャム造りをした。まずユズを水洗いし、二つに輪切りにし実と皮に分け、実の部分を絞り、ジュースと種の部分に分けた(写真ー2)。ユズの実は柔かく、絞るとドロドロになり巧く絞れない。次回は絞り方を改善する。
 次にユズの皮を千切りにして水に浸けアク抜きをする(写真ー3)。一昼夜で3回程水を入れ替えた。アク抜きした皮を水切りをして、先に絞ったジュースと、種を煮込んだ汁(ペクチン)を加え、石油ストーブに掛け、ゆっくり3時間程かけて煮込み、グラニュー糖を700g加えて、更に1時間程煮込んでジャム(マーマレード)にした(写真ー4)。容器の瓶は煮沸・浄化し、ジャムを瓶に入れ、瓶の蓋を軽く締めて鍋に入れ沸騰殺菌し鍋から出した瓶の蓋をキチンと締め(写真ー5)る。苦味が残るが100%純粋なユズジャムの出来上がりだ。
(写真ー1)ユズ2.5kg
(写真ー2)jジュース・種
(写真ー3)皮の千切
(写真ー4)煮込み
(写真ー5)瓶詰め


  湯西川温泉(2011年1月28日〜29日)
 NPOの新年会で、雪深い湯西川温泉へ一泊旅行をした。(写真ー1)は雪に埋れた湯西川と温泉街の風景です。宿の庭の霧氷(写真ー2)も朝10時になっても付いたままで、夜は氷点下10℃が頷けます。また宿の庭に造られた露天風呂も」雪に埋れ(写真ー3)、フロントに問合せると、雪の中で危険で、また寒くてお勧め出来ないとの事でした。夜は”かまくら祭り”も有るが、宴会の酒に浮かれ行かなかった。
 雪の中、、付近に有る”平家の里”(写真ー4)や吊橋(写真ー5)等を散策し、”雪の風情”を楽しみました。
(写真ー1)湯西川温泉
(写真ー2)霧氷
(写真ー3)庭園露天風呂
(写真ー4)平家の里
(写真ー5)吊橋


  ”真白き富士の嶺”(2011年2月10日〜13日)
 雪の予報だが、用事が有り”徒然想”に行く。10日、雪が降る前の庭(写真ー1)に、11日〜12日は終日コンコンと雪が降り20cm位積り(写真ー2)、雪景色に変った。13日は、雪が上り快晴の朝を迎えた。”真白き富士の嶺”が青空にクッキリと現れた(写真ー3)。そして、昼には雲が沸き始め(写真ー4)、そして夕刻には雲に隠れてしまった(写真ー5)。
(写真ー1)雪前の庭
(写真ー2)雪の庭
(写真ー3)真白き富士嶺
(写真ー4)雲が沸き
(写真ー5)雲に隠る


 観梅(2011年2月25日)
 毎年、春の目覚めに大宮第二公園の観梅に行く。今日はバカ陽気で23℃まで気温が上り、沢山の人が来ていた。
春一番が吹き、介護のお年寄り、家族ずれなど、皆さん思い々の姿で春の訪れを楽しんでいた。厳しい寒さも峠をこしたかも。


 柚子ジャム造り(2011年3月7日〜9日)
 柚子が完熟し、鳥が実を食べに来る。凝りずに柚子ジャムを作った。木に残った柚子は1.1Kgだ。
造り方は前回に同じで造る過程の写真は省略する。結果だけを記録すると、柚子の実が1.1Kgで、
ジュース分が少なかったが果汁のみでジャムを造った。これに。甘さ控えめのグラニュー糖300gを加えて
煮詰めてジャムにした。煮沸消毒して瓶詰にしたのが右の写真。常温保管1年でも、少しも悪くならない。


 さくら・サクラ・桜(2011年4月6日〜12日日)
 毎年のことなれど、桜が咲くと心が浮き立ちジッとして折れない性質です。今年も性懲りも無く桜を愛でました。
東北の大地震被災の方には、”かたじけない”と想いつつ桜を愛でました。日本人です・・・心は一つです。
自宅近場の桜(大宮公園(友人と観桜会(4月/6日)・弘明寺(4月9日)・さくら堤(4月/7日)・農園の桜(4月/13日))
 (写真ー1と2)は大宮公園の桜です。友人仲間と”観桜会”を催しました。(写真ー2)は公園の中央にある”しだれ桜”(写真中央の高く聳えた桜)で、毎年この桜が私の観賞桜です。
 (写真ー3)は私の息子宅がある横浜の弘明寺で”大岡川沿いに見事な桜並木があり、息子家族との観桜会が楽しみの一つです。
 (写真ー4)は私の農園の近場にある”さくら堤”の桜です。ここは菜の花と桜が美しい。(写真ー5)は農園のミカンと桜のコラボです。
(写真ー1)大宮公園
(写真ー2)しだれ桜
(写真ー3)弘明寺
(写真ー4)さくら堤
(写真ー5)農園の桜
 ”徒然想”の桜(別荘地内の桜(4月/9〜12日))
 4月9〜12日、”徒然想”に滞在した。勿論、桜観賞が目的です。手塩にかけて面倒を見てる桜で、この桜を見るのが私の生き甲斐の一つです。(写真ー6)がその”徒然想”の桜です。この別荘地は桜が沢山植栽してあり、散歩しながらの桜鑑賞が楽しみです。
 (写真ー7)は”富士桜”と呼ばれる桜で、花弁が小さくピンク色した可憐な桜で、見事な花を付けてます。(写真ー8)は”こぶし”と桜です。昨年より美しさが勝ります。(写真ー9)は桜公園の桜ですが、過去に比べてイマイチです。
(写真ー10)は別荘地の管理センターから望む桜景色ですが。春霞で正面の富士山が見えず残念でした。
 
(写真ー6)徒然想桜
(写真ー7)富士桜
(写真ー8)別荘地桜
(写真ー9)別荘地桜
(写真ー10)管理棟桜
 上野公園の桜(4月14日)
 桜の盛りは過ぎた上野公園へ行きました。平日でしたが天気が良く、多くの人で賑わっていました。(写真ー11)は”忍の池”の弁天様近くの露店です。(写真ー12)上野公園のメイン通路で花見の道路です。(写真ー13と14)は”忍の池”とスカイツリーです。(写真ー15)は、”忍の池”に散った桜の花弁が風に吹き寄せられ、桜湖面の見事な景観にシャッターを切りました。
(写真ー11)露店
(写真ー12)公園観桜
(写真ー13)スカイツリー
(写真ー14)忍ばず池
(写真ー15)散る桜


  ”徒然想”に春到来(2011年4月9日〜12日)
 1月半振りの”徒然想”に上さんと滞在した。桜の鑑賞が主目的だが、地震がありその点検や庭の手入れ等色々な事をした。
(写真ー1)は、寒囲いを外した処のミカンの木です。青々としてます。日当たりが悪く、ミカンが巧く出来ないのでデコポン等のミカンは、私の農園へ掘起して移植しました。(写真ー2)は”徒然想”の桜年毎に見事な花を付け目を楽しませてくれます。
 毎年のことですが(写真ー4)は春蘭、(写真ー4)はクリスマスローズで、年毎に大きく成長します。(写真ー5)はシイタケで5Kg位は収穫しました。焼いて食べるとステーキ並みだし、残りは持帰って干シイタケにもします。
(写真ー1)ミカン寒囲
(写真ー2)徒然想桜
(写真ー3)春蘭
(写真ー4)クリスマスローズ
(写真ー5)シイタケ


 孫と楽しむ”徒然想”(2011年5月2日〜5日)
 5月連休、息子の休みに合せて、混雑を避けて「一緒に”徒然想”で過そう」と相成り出かける。上さんも孫が来るので喜んで行く。
短い滞在だが3歳の可愛い盛りの孫と過す時間は楽しい。近くのテーマパークでも連休に合せてイベントが開催されていた。ミニチュア機関車に引かれた台車に孫と一緒に乗りはしゃいだ(写真ー1)。”徒然想”は花の盛りだ!。ツツジが咲き誇り、その下にシャガ(写真ー2)、西洋シャクナゲ(写真ー3)が彩りを添えている。また、春に真っ赤な新芽のモミジ(写真ー4)や名前不肖の白い花(写真ー5)等が咲き誇り、ウグイスが1日中鳴き、新鮮な山の空気に包まれ孫との楽しい時間が過せた.。残念にも富士山は曇りと黄砂で一度も拝めず。
(写真ー1)ミニ機関車
(写真ー2)シャガ
(写真ー3)シャクナゲ
(写真ー4)モミジ
(写真ー5)???花


 梅雨本番の”徒然想”(2011年6月19日〜22日)
 上さんの依頼で、十里木の富士山の湧水”弁当場”の水”を汲みに行く。原発の事故以来、上さんは放射線にえらい気を使うようになった。「”徒然想”の水道水は富士山の湧水(柿田川)だから放射能は無い」ので、水道水を汲んで持ち帰ってはダメか?・・・と云っても、「直接汲む”弁当場の水”が美味しくて安全だ」と云う。約100Lの水を汲み持ち帰った。
 今回”徒然想”へ行く目的は、玄関階段の塗装だ。錆が浮き、雨で汚れて見苦しく、2日がかりでケレンを掛け、塗装をした。
 4日間、梅雨空で塗装作業ができない時は庭に出て花を愛で、夜はお隣さんと酒を交わし談笑した。下の(写真−1)はグミ、(写真ー2)は金柑で、少し渋いが完熟した果実は中々美味しい。(写真ー3)は遅咲きのサツキで見事な花を付けた。(写真ー4)は姫シャラ、(写真ー5)はアジサイだが、まだ早い。次回、7月に来る時は惜しいかな・・・満開は過ぎていそうだ。
(写真ー1)グミ
(写真ー2)金柑
(写真ー3)サツキ
(写真ー4)姫シャラ
(写真ー5)アジサイ


 ”酷暑さいたま”脱出(2011年7月14日〜19日)
 連日、”酷暑熊谷市”のニュースが全国版で踊る。上さんも”さいたま脱出”を決意し、一緒に”徒然想”へ行く。標高500m、気温は30℃位に上がるが、木立を抜ける涼風が心地よく、クーラー要らずで、朝夕は寒い位だ。好天と花に包まれ快適な1週間を過した。
 庭はアジサイが花盛りで、(写真ー1)は自慢のアジサイの小道です。上さん好みの”合歓の花”が咲きアジサイと饗宴(写真ー3・4)。山百合の蕾が膨らみ(写真ー4)、変りアジサイも満開です。その他桔梗(写真ー6)、梔子(写真ー7)、山百合(写真ー8)と見飽きません。(写真ー9)の木の実、木の名前が判りません。夏本番で煙突閑です。閑に任せ1日かけて煙突掃除をした(写真ー10)。
 快晴で富士山も姿を見せます。(写真ー11)は雲海に浮かぶ夕富士、(写真ー12)は谷筋に残る残雪、(写真ー13)は雲涌く富士山、(写真ー14)は雲に包まれる夏冨士です。朝夕の散歩も快適で、貯水池には沢山のスイレンが咲き誇ります(写真ー15)。
 
(写真ー1)アジサイ小道
 
(写真ー2)ネムとアジサイ
 
(写真ー3)ネムの花
 
(写真ー4)山百合
 
(写真ー5)変りアジサイ
(写真ー6)キキョウ
(写真ー7)クチナシ
(写真ー8)山百合 
(写真ー9)木の実
 (写真ー10)煙突清掃
 (写真ー11)夕富士
 (写真ー12)残雪
(写真ー13)夏富士
(写真ー14)雲と富士山
(写真ー15)睡蓮


   湯檜曽温泉へOB旅行(2011年7月22日〜23日)
 15年前の職制仲間のOB会が今も続く。湯檜曽温泉に泊って旧交を暖めた。観光地や温泉場の寂れ具合は全国同じ。
たらふく飲んだが、歳のせいで早く目覚める。同室のY氏と朝風呂に入り、朝食まで時間があり、温泉場の町を散策。グランドゴルフへ行く土地のおばさんと意気投合し、一緒にグランドゴルフ場へ行き、クラブを貸すから一緒にプレイしよう!・・・と誘われ大喜びで加わった(写真ー1)。土地の好意に感激・・・また湯檜曽温泉に来よう!!!と想った。宿の朝食後、谷川岳天神平ロープウエイに乗り、更にリフトテで登った(写真ー2)。夏山の特性でガスが巻き眺望はイマイチだったが、朝日岳が真向かいに聳え圧巻だった。天神平は花盛りでニッコウキスゲが美しかった(写真ー4)。その後、更に利根川の源流に向かい、奥利根湖(八木沢ダム)まで足を伸ばして観光して帰った。 
 
 
(写真ー1)グランドゴルフ
 
(写真ー2)天神平山頂
 
(写真ー3)朝日岳眺望
 
(写真ー4)日光キスゲ
 
(写真ー5)奥利根湖


   金柑砂糖煮
    (2011年7月31日)
  
  川口市安行の植木屋さんから、”金柑の砂糖煮”を食べさせて貰い、造り方を教わった。
いい味をしていて、「毎日1個食べると健康に良い」とも聞いた。
”徒然想”で実った金柑を7月に持ち帰り、多忙に追われ放置してたが、やっと造ってみた。
うん・・・なかなかの味だ。

 


  孫と”酷暑さいたま”脱出(2011年8月11日〜16日)
 例年の事になれど、今年も息子の夏休みに孫と”徒然想”行きとなった。今年のお盆休みの気候は猛暑で丁度良い避暑になる。
孫に会うのが愉しみで、吾が畑で捕ったカブトムシを持って行き孫に遊ばせた(写真ー1)。まだ幼く、最初は怖がったが暫くして慣れ、毎日カブトムシを引き出して遊んだ。次にお決まりのベランダでプール遊び(写真ー2)、夜はミニログの中で花火をして遊んだ(写真ー3)。
 猛暑とは云え、暦は立秋を過ぎ”残暑”となり、庭の花は秋めいて来た。毎年だが(写真ー4)は桔梗、(写真ー5)は花魁花です。 
  
 
(写真ー1)カブトムシ
 
(写真ー2)グプール
 
(写真ー3)花火
 
(写真ー4)グ桔梗
 
(写真ー5)花魁花


 佐渡島紀行(2011年8月20日〜22日)
 義妹の1周忌法要で佐渡に2泊3日滞在した。8月20日、カモメの見送りを受け(写真ー1)、12時35分発の佐渡汽船フエリーで佐渡の両津港に渡る(写真ー2)。今年は原発事故の影響で佐渡観光が増加し、ホテルは満杯で、住吉温泉の小さな温泉宿に宿泊した。
かけ流しの大変いい湯で同行した上さんも大変喜んだ。お陰で、古い宿の爺さんとも懇意に話が出来、佐渡の事を知る事もできた。自分の敷地内で沸く47℃の源泉(写真ー3)から、両津市内の温泉宿へ給湯してるが、客足は伸びず、設備資金回数に行き詰まり廃業した旅館も多数あり、旅館経営の厳しさを嘆いていた。
 翌朝、トキ観光に出かけた(写真ー4)。トキは離れた金網ケージの中で飼育され、双眼鏡で見てもピンと来ない(写真ー5)。上さん等は10分と見学せず「つまらない」と施設を出てしまう。資料が学術的、自然保護活動色・役所イメージで素人には不評だと想う。
    
 (写真ー1)新潟港出航
 
(写真ー2)両津港入港
 
(写真ー3)温泉源泉
 
(写真ー4)トキの公園
 
(写真ー5)トキ
  次に佐渡金山観光をした。こちらは生き物でない為、自由な展示が可能な事も有り素人にも判り易かった。江戸時代の”宗二郎杭”のみ約50分で観光した。連れが年配で歩行が不自由、苦労して階段を降り上がりした。金採掘の人形は判り易く、上さんも興味深く見ていた。(写真ー6)は、金採掘作業の様子、(写真ー7)は、佐渡金山の主な金鉱石の展示、(写真ー8)は、一連の”金精錬作業〜小判製造作業の流れ”が展示されていた。
 面白いのは、展示ケースの穴から手を入れ金塊に触れる。ケースの中の12.5Kgの金塊を片手で持つのは(写真ー9)吾輩です。
次に、金杭中の酸化鉄の微細粘土で造った”無名異焼”の湯呑を買う(3千2百円)。硬く叩けば金属音がし、落としても割れ難く、鉄分が健康に良く、使う程深みが出て生涯使用物として珍重され、”徒然想”の隣人から”是非買うべき”と薦められ購入した。
   
 (写真ー6)金鉱採掘
 
(写真ー7)金鉱石
 
(写真ー8)金精錬
 
(写真ー9)金塊
 
(写真ー10)無名異焼
 3日目は、佐渡ケ島の南半分を島巡りした。棚田が本当に美しかった。(写真ー11)の棚田は標高300m位の、山の中腹の棚田で、写真の沖に浮かぶのは本州で、絶景です。こんな所まで水を引き水田を創り、手入が行き届く稲穂に感嘆しました。
 佐渡は”あんぽ柿”が名産で、手入れが行き届いた柿畑が至る所に有り美しかったが、時期でなく賞味出来ず残念だった。(写真ー12)は白桃で、小ぶりだが甘味程よく、上さんが、旅先なのいに沢山買い込み持ち帰りました。
 (写真ー13)は港佐渡南端の小木港近くの”矢島・経島”で、大変美しい処です。(写真ー14)の湾内の奥にポツンと2個浮かぶのは”たらい船”で、500円で乗れます。私も巧みな櫂裁きの海女さんと乗りました。良い想い出になりました。
 夕方16時5分のフェリーで佐渡が名残惜しい気持ちで帰途につき、18時35分、カモメに迎えられ新潟港に着いた(写真ー15)。
 新潟港までの往復650Km,佐渡
島内走行距離(レンタカー)200Km、合計延850Kmを走破した旅でした。少し疲れたな〜。    
 
(写真ー11)棚田
 
(写真ー12)白桃
 
(写真ー13)矢島・経島
 
(写真ー14)たらい船
 
(写真ー15)新潟入港


   金柑砂糖煮(パートU)(2011年9月1日)
 前回(7月31日)、”徒然想”から持帰ったキンカンで砂糖煮を造り巧く出来たので、8月のお盆に”徒然想”に行った時、残りのキンカンを全て採取し、2度目のドジョウを狙った。処が、今回は見事に失敗した。造り方は前回と同じにしたが、失敗の原因は@8月採取のキンカンは皮が硬くて食感が悪い、A青いキンカンもごちゃ混ぜに煮込んだ(煮れば少し良くなるかと思い)処、出来上がった砂糖煮の色具合が黒ずみ悪い(写真ー4)。何でもやってみて失敗を経験するのも良いものだ。  
キンカン=350g
 砂糖=100g 
 
(写真ー1)キンカン 
 
(写真ー2)割り入れ
 
(写真ー3)煮込み
 
(写真ー4)瓶詰


   秋の”徒然想”を愉しむ(2011年9月22〜26日)
 9月24日気象庁の発表で初冠雪、”平年より6日早い”のニュース。”徒然想”から観る富士山頂付近は白い(写真ー1)。周辺のススキもすっかり秋景色(写真ー2)、庭の秋明菊も秋を彩る(写真ー3)。この冷込みに風邪を引いてしまった。
 孫は下隣のT氏の庭のゴルフ練習場が安全で、格好の遊び場になってます(写真ー4)。”徒然想”の”岩松”・”春蘭”・”エビネ”をプランタに入れ持帰りました(写真ー5)。自宅でも山荘の気分を味わおうと想いますが、気候に馴染むかチョット心配。  
(写真ー1)初冠雪 
(写真ー2)ススキ 
 
(写真ー3)秋明菊
 
(写真ー4)孫
 
(写真ー5)岩松


   小さな庭に柿が実る(2011年10月11日)  
  小さな庭に、柿がたわわに実った。ミカン(早生と八朔)もまだ青いが大きな実を着けた(写真ー1)。柿は樹齢40年に近い。面白い柿で、今は甘柿だが、霜がが降りると渋柿に変る。渋柿になったら、皮を剥いて干柿にする。この干柿が甘くて美味しい。一方、早生ミカンも樹齢40年になり、完熟すると大変美味しい。毎年ながらこの果実を食べると、我が家の秋を実感する。
 キンモクセイが今を盛りに黄色い小さな花を咲かせ、甘い香りをふりまく。このキンモクセイも毎年ながら沢山の花を付けてくれる。我家の花水木の葉も赤く染まり落葉を開始した。家の前の小学校のケヤキの葉も黄ばみ始める。
 秋の陽は急に短くなり、穏やかな日差しにまどろむ。酷暑の中の農作業が昨日の様に想える。私の真っ黒な首筋を上さんが嗤う。今年も2ヶ月余りだな〜。

(写真ー1)柿実る 
 
(写真ー2)キンモクセイ


   古里で古希の同窓会(2011年10月18日〜25日)
 10月20日、中学の古希同窓会出席に帰省した。18日実家の兄宅に泊まり、19日は中学の友人宅で前夜祭、20日は同窓会、そして会場のホテルに宿泊し、21日は呼子にイカを食いに行き、近くの玄海原子力発電所へ見学に行った。
 22日〜23日は兄弟夫婦で霧島神宮〜えびの高原〜えびの市の京町温泉に宿泊〜人吉市〜椎葉村(宮崎県)〜阿蘇山〜日田市を通り帰宅した。24日は兄宅で同窓会の世話役等と懇談し、25日は福岡で大学の友と飲み深夜帰宅の、強行軍をこなした。
 (写真ー1)は実家の裏山から撮った古里の山河、(写真ー2)は吾が高校、(写真ー3)はホテルでの同窓会、(写真ー5)で今話題の玄海原子力を見学し、その後(写真ー4)で呼子港のイカ料理に舌鼓を打った。懐かしき多くの若き日の友と楽しい一時を過した。  
 
 
(写真ー1)古里山河 
 
(写真ー2)唐津
 
(写真ー2)同窓会 
 
(写真ー4)呼子のイカ 
 
(写真ー5)玄海原発 


  植木移植で”徒然想”へ行く(2011年10月30日〜11月2日)
 ”徒然想”の植木が、密植や柿が実らないとかの問題もあり、農園が整備出来てきたので、移植する事にした。柿木⇒2本、金柑⇒1本、楓⇒1本を掘り起こした。1ヶ月ぶりの”徒然想”はナメコは傘が開き(写真ー1)、ミカンは色付き何とか喰える(写真ー2)。また、色々なサザンカの花が開き(写真ー3)、リンドウや菊や秋明菊等咲き誇っている。
 庭に自生の自然薯を6本掘り起こした(写真ー4)。そして夜、下隣りのT氏と酒宴を開き自然薯に舌鼓を打った。天気もよく、富士山の初冠雪は消えたが美しい夕日が拝めた(写真ー5)。またH氏が富士山の弁当場へ行くので、20Lポリタンク2個に名水を汲んで来て貰った。更にシイタケのホダ木も車に積み込み、車は重量オーバーの満杯で、楽しさも満杯で埼玉に帰宅した。
   
 
(写真ー1)ナメコ
 
(写真ー2)ミカン
 
(写真ー3)サザンカ
 
(写真ー4)自然薯
 
(写真ー5)夕冨士


  入社同期懇親会(2011年11月14日〜11月15日)
 毎年恒例、同期入社21名での秋の一泊旅行に参加した。同期入社後、既に退職して45年もの歳月が流れた。
良き友にめぐり会え、10年以上若返り、歳を忘れての歓談になった。秩父の宿の周りを紅葉狩りし、深まる秋を楽しんだ。
 秩父一番札所、四万部寺のモミジ観賞を皮切りに、長瀞ライン下り⇒金蔵落しの渓流⇒三峰林道⇒太陽寺⇒金蔵落し⇒秩父市と、お寺と山の紅葉狩りを楽しんだ。丁度紅葉真っ盛りで美しい楓の美を堪能できた。
   
(写真ー1)四万部寺 
 
(写真ー2)四万部寺
 
(写真ー3四万部寺
 
(写真ー4)川下り
 
(写真ー5)三峰駅橋
(写真ー6)金蔵落し 
 
(写真ー7)金蔵落し
 
(写真ー8)金蔵落し
 
(写真ー9)三峰林道
 
(写真ー10)太陽寺


   今年最後の”徒然想”(2011年12月23日〜12月25日)
 農作業が忙しく、11月の”徒然想”滞在は叶わず、やっと師走に時間を創ったが慌しい”徒然想”滞在になった。主な目的は; @梟の彫刻をH氏へ届ける; Aミカンの寒囲い; B水周りの冬季対策;Cシイタケホダ木を持帰る・・・だった。庭は冬の景色で、万両の実が赤く色付き(写真ー1)、ミカンは鳥が食荒らしている(写真ー2)。10個程残ったミカンを採り(写真ー3)、食べてみると酸っぱいけど美味しい。6本有ったミカンの木の内、今年4本は持帰り、農園に植え替えたので、残り2本に寒囲いをした(写真ー4)。
 今年最後の”徒然想”は、毎晩下隣のT氏と歓談し、富士山は(写真ー5)のように美しく、密度の濃い2泊3日の滞在になった。
   
(写真ー1)万両 
 
(写真ー2)ミカン
 
(写真ー3)収穫
 
(写真ー4)寒囲い
 
(写真ー5)富士山