’08年を振り返って |
@6月に坐骨神経痛を患った。思い当たる原因は、”徒然想”の庭の斜面(標高差20m位)を小型耕運機を運び上げた事だ。
年齢をわきまえた行動をすべきと痛感した。神経痛で、”卓球”・”登山”・”旅行”がすべてパ〜になってしまった。
A素人農園が緒についた。九州から20本の蜜柑苗を植樹したし、ブルーベリーの苗25本も購入した。
B地域のNPOに参加し、これが有意義だ。農業やパソコン等、地域の課題に対応し、評価も高くやりがいがある。
C”徒然想”滞在は、上さんが余り好まなくなり、私独りの滞在が増え、結果滞在日数も減少し大変に残念である。
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結果として’08年は、反省多き1年になった。
’08年の当初の目標としていた
@工芸品の創作⇒’09年は断念する(上さんと一緒の”徒然想”滞在が思うにまかせない)。
A「素人農園」⇒’09年は軌道に乗せる節目の年になる(メインテーマとする)。
B”山から畑へ降りよう”⇒”体調”・”所属NPO”・”素人農園”の三位一体を考慮した結論。
★不安定要素が多分にある今年だが、目標はキチンと持ち、必要な時に柔軟に軌道修正しよう。
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’09年を振り返って |
’08年に患った坐骨神経痛は大分良くなった。日常生活には支障が出ない位に体調が回復した。
一方、上さんから、「何時も家に居ない!」と云われる。そこで、2009年の私の行動日を集計した。
@”徒然想”滞在=63日:素人農園=56日:NPO活動及び森活動=55日。合計=174日/年が自宅に居なかった日。
週休2日サラリーマンの凡その出社日は235日位なので、それに近い日数、自宅に居なかった事になる。
この合間に、旅行や自宅のDIY(リフオーム工事)をしたので、大変忙しい毎日で、卓球愛好会在籍だが殆ど欠席になった。
A”徒然想”滞在日数はほぼ横這いで、素人農園日数が大幅に増加したのが原因だ。行動の幅はこれ位が限界かも知れぬ。
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結果、’09年の年初に想定した1年になった。故、まずまずの1年と評価しよう。
2010年の年頭目標を以下に想定した
@素人農園が”造る喜び”、”自然に溶け込む喜び”、そして神経痛の身体にも”マイペースで取組める”ので、これに力を入れる。
A歳は待ってくれない。今後更に”老い込んだ時”を考えると、やはり土や自然に溶け込んだが心安らぐ気持ちがする。
B従って、2010年は2009年の延長線上で行動し、更に深化させる事を目標とする。
C卓球愛好会は残念だが退会する事にしよう。森活動は山好きな私だし皆さんと絆を切らぬ活動を継続しよう。 |
2010年を振り返って |
’10年は身内の不幸な出来事が多く、厭な想い出の年になった。これは神の思し召しで素直に”仕方ない”と諦めよう。
体重が減り、上さんから”痩せた・心配だ!”と云われ、初めて受けた人間ドッグも”正常”のお墨付きを貰った。
今年も色々企画し動き回った。
★2010年の年間活動日を集約した。”徒然想”滞在=51日;NPO活動=48日;素人農園=109日;合計=208日が家に
居なかった。上さんが「家に居ない」と云うのも尤もかも・・・特に多いのが素人農園百姓仕事で3日に一日行っている。
★素人農園は、耕作面積が2000uになり、ミカンもまずまずの物が収穫出来た。ほぼ今年の計画を達成出来た。
★東北兄弟旅行が実現し、3兄弟夫婦で1週間の”温泉と紅葉狩り”が出来た。また上さんと友達の”八ヶ岳の別荘”も良かった。
★NPOは昨年に変らぬ程度に参加した。ただ、森活動や自宅や”徒然想”のDIYはサッパリになった。
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結果は、2010年の年初に計画通りの1年になった。
2011年の目標は
@素人農園を発展させる。69歳で古稀に手が届いたが、”動き回る”事が最高の”良薬”の様だ。私の友は全てそう云う。
A古稀なので、これをネタに、同窓会や知人との交流が更に増えそうだ。友が多い事も幸の要件一つだ。
B素人農園が忙しくなると、”徒然想”が重荷になって来た。時間が取れない。上さんが行かない・・・等で、思案のしどころだ。
今年で60代は終る。時が矢のように過ぎて行く。足元を見つめ、充実した日々を積上げよう
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2011年を振り返って |
2011年は、災害に加え、経済危機、政治の空白等外的環境は悪化し不安な1年だった。災害に見舞われた方々の痛みに比べれば、吾が人生は平穏に尽きる。私の1年は、ほぼ計画通りになった。
★2011年の年間活動日を集約。”徒然想”滞在=38日と激減;NPO活動=61日と増加;素人農園=92日;合計=191日。
★中部山地兄弟旅行、同窓会で九州帰省、佐渡島旅行を始め、1泊程度の小旅行も多く、その分、”徒然想”滞在が減る
★旅行日数を加えると200日以上外出し、昨年と変らず動き回った。素人農園も少しずつ軌道に乗りつつある。
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2012年の目標は
@素人農園を更に充実発展させ、ミカン栽培を軌道に乗せる。
A70歳(古希)を越し、老体の吾が身に合う仕事の仕方をする。農作業の効率化、(野菜栽培の縮小、。
Bミカン栽培の拡大に伴う、販売方法を検討し拡充する。これは今年の大きな試練になる
75歳の後期高齢者まで残5年、”林住期”はここまで・・・と意識し、吾が人生の道筋を再考する |
2012年を振り返って |
3月21日、上さんが自転車で転倒、大腿骨骨折、人工骨頭の手術で2ヶ月入院、2012年の最大の事件になった。幸いにも、
手術退院後もリハビリに励み、自力歩行は出来る様になり、動きは悪いが不幸中の幸いと云わねばならない。
★2月、息子家族と石垣島旅行そして母ヒロ死亡で九州帰省、そして3月は上さんの骨折入院で、年度の前半は忙殺された。
★素人農園のみかんは順調に発展、”みかん狩り”に100人以上来てくれ、12月9日に閉園し、収穫みかんも完売した。
★東松山・北本・鴻巣の幼稚園にみかん狩りの営業をする。また、ファーマーズマーケットに出店し、販売とみかん狩りのPRをした。
★結果、”徒然想”滞在は激減の18日、NPO活動日81日、農作業106日と自宅滞在が大幅増加。上さん大事は仕方ない。
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2013年の目標は
1)自宅のリフオームを計画する。屋根・壁・サッシ&雨戸の全面リフオームで、併せて私のDiyも行う。また東ガスへの切り替えもする
2)みかん栽培は、効率化を進め、農作業作業時間の低減を図る。畑はみかんの木で埋まり、野菜栽培は削減して行く。
3)NPO活動及び”徒然想”滞在は成り行きにまかせ、人生をエンジョイする事も併せて進めて行く
ほぼ目標に沿い結果が出ている。歳に負けず、しかし自制し、病や老齢の覚悟もする
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2013年を振り返って |
順調な1年だった。家族の健康も何とか平穏に過せた。みかん栽培も何とか順調に推移している。但し販売が大きな課題だ。
今年から”幼稚園のみかん狩り”を開始し、100名弱の園児が訪れ、大変に嬉しかった。Webネットからのの申込も数件有った。
上さんも大腿骨骨折後、不自由ながら元気を取り戻し、10月に恒例の”東北紅葉狩りと温泉三昧”の旅行をした。”徒然想”
は上さんの骨折で更に遠のく。埼玉に永住になりそうで、家のリホームを実施。屋根の葺き替え、窓のペアガラスサッシ化、雨戸の電動
シャッター化、外壁塗装を行った。上さんは、窓の改装が快適な暮らしと喜ぶ。ガスも、地域にガス管施設で、都市ガスに切替えた。
結果、”徒然想”滞在=29日;NPO活動=64日;農作業=100日(876時間)と昨年変らず自宅滞在型の生活となった。
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2014年の目標は
1)みかん栽培を軌道に乗せる。今年72歳、後期高齢で車の運転が講習+3年更新になる。吾が意思に拘らず老化が進む。
販売の営業活動が最重要課題だ。更に農地の拡大が課題だが、農地は中々手に入らない。
2)NPO活動は従来同等で継続し、今年は上さんとの旅行等に少し力を入れようと想う。”徒然想”・・・仕方ないな〜。
吾が健康の維持が最大の幸せ。神に感謝し暮らそう
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2014年を振り返って |
上さんの事件は有ったが概ね平穏な1年だった。みかんの栽培や販売も順調に推移。早いもので孫が小学校に入学した。
上さんとの安曇野や北海道旅行が想い出に残る旅になった。北海道旅行は観光旅行ではなく、自然に親しむ旅行が良かった。
★みかんの販売は”みかん狩り”が順調に拡大し、みかんの収穫量の増加に見合う販売で完売出来た、売上も15万をクリアした。
★NPO活動では、旧式トラクタのT/Mが故障し動かなくなり、T/Mを分解しまがりなりの修理をして、稼動出来るようにした
結果;”徒然想”滞在=27日;NPO活動=88日;農作業=112日(1077時間)⇒徒然想激減し農作業やNPOの1年だった
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2015年の目標は
2007年5月耕作放棄の荒地を草刈、2008年11月にみかん苗を植樹し開始した農園、今年で満7年経過する。今年は
経費(労務費除外)の営業収支の黒字が目標。みかんは順調に育つ⇒販路の拡大が決め手だ。”果樹は10年”が通説だ。
NPOの活動は継続程度、上さんとの旅行は更に充実させる。後期高齢者の75歳まで残2年、林住期の人生を楽しもう
何は無くとも、健康第一 ⇒ 今年も神に感謝し暮らそう |
2015年を振り返って |
今年のメインイベントは北海道兄弟旅行だった。男兄弟3人夫婦で、網走から知床〜道東〜小樽の旅、皆さん大満足した。特に知床
で野生のキタキツネ兄弟に出会い感動した。更に10月は恒例の東北の温泉と紅葉旅行⇒栗駒山〜鳥海山〜蔵王も最高だった。
又、”徒然想”の駐車場造りや階段のリフオームに精を出した。お陰で、健康にも恵まれ、元気に1年間を動き回り悔いは無い。
★みかん狩りも販売も好調に売り上げを伸ばしお客様に大変好評を頂いた。但し、新規の土地は課題になった。細沼氏と連携開始
★NPO活動は、岩井・荒木ご両名の逝去後魅力無く半減した。美晴の転職の成功を祈る
結果;”徒然想”滞在=29日;NPO活動=33日;農作業=111日(1065時間)⇒NPOが激減し農作業や”徒然想”が横ばいだった
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2016年の目標は
今年は74歳、まだ気力も体力も物欲も旺盛ゆえ、75歳と決めていた”林住期”を延長する
★今年は、みかん園の将来の岐路になる。片道1時間は、高齢ゆえの事故が心配。自宅近くででみかん園を始めたい
★74歳で、新規のみかん園開業はリスク大だが、将来高齢になった時を考えれば今が最後の決断になる
★車庫を改造をし車2台、美晴の通勤に備える。また夫婦旅行も企画し、思い出を造り、来年は金婚式に花を添えよう
林住期”を延長の気力を維持し⇒”夫婦仲良く健康を”神に祈ろう
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2016年を振り返って |
お陰様で健康に恵まれ、75歳の後期高齢者の仲間入りが出来た。尾瀬・燧ケ岳(標高2400m)にも登れたし、北海道旅行では
大雪山旭岳の”姿見の池めぐり”のコースを、上さんはなんとか踏破出来た。75歳の高齢者としては満足な健康維持が出来てると思う。
子供達は厳しい企業戦争の中でも働き通してるし、孫も健やかに成長している。これ以上の幸は無いと思う。
★”みかん狩り”が大盛況で、みかんが無くなりお断りする状態になる。新地は野菜栽培止まりだったが、全て豊作だった。
★NPO活動は低調で先行きが案じられる。山や自然保護活動は止めたまま過ぎた。代わりに農家の方や 吉見町の役所
との接点が増えた。”みかん栽培体験談”の講義を頼まれ、農振新井さんとの知己を得たのも特記事項だ
★車庫の工事が完了した。車2台が置け、車庫のフエンスも独特なものを設置。当面、自宅の工事は不要と判断
結果;”徒然想”滞在=12日; NPO活動=24日; 農作業=119日(1183時間)で、農作業が完全に主流になった
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2017年の目標は
75歳、後期高齢者で身体の衰えも自覚するし、免許更新講習でも視力の衰えなど実感した。かといって、家に篭ると更に老化や
体力の衰えが進むと思う。住いの近くの農地を探したが無い。1反歩1500万を超える地価、農地は無いので、このまま続ける
★新地のみかん栽培を本格化させる。幼木や苗みかんを移植する。付随工事として周囲の防風フエンス張りや物置移転等必要
★”林住期”80歳として、計画を練り直す。NPOや箱根は継続するのみ。みかん栽培に注力する
★工事はひと段落したが、箱根のログハウスの屋根の痛みが気になる。また木部の塗装も検討せねばならぬが、上さんいい顔しない
年賀状を減らしたり、他人交際を縮小したりするが、九州帰省を実現したい |
2017年を振り返って |
今年(2017年)は、”凶年”になった。
★私の義兄と義姉が8月に相次いて亡くな、九州へ2度葬儀帰省した。加えて家内の姉がクモ幕下で倒れた
★箱根”徒然想”を売却手放した。上さん大喜びだが私は寂しい。しかし加齢と農園仕事で夢は追付かない
★畑が農機具泥棒に荒らされ、耕運機、草刈り機、発電機等、物置は壊され20万円以上の被害を受けた
大変嫌な年にもめげず
★(北畑1100u)新地の周囲に小型物置を配置し、全外周にネットフエンス(防風ネット)を設置した
★北畑へ16本のみかんを移植し、厳重な防寒対策を実施した
★みかん狩りは大盛況!。但し、青島みかんや甘夏を大量に実らせ12月20日から越冬対策開始の為
” みかん狩り”は止め、畑のみかんは全採取し、上さんが自宅車庫で販売し、結構な金額売り上げた
★NPOの理事の退任を申入れ退任した。私の多忙が主因だが、前会長の死亡と後継役員の体制が幼稚で無計画が主な理由
結果;”徒然想”滞在=14日; NPO活動=26日; 農作業=146日(1531時間)で、農作業が完全に主流になった
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2018年の目標は
いよいよブルーの年齢を意識せざるを得ないが、気力は喪失しないよう努めようと想う。NPOの理事は退任しNPOは控える様にする
私の老後の楽しみは、農園のみかん造りだ。楽しみながら、自分の身体に聞きながら無理せず長続きさせよう。今年よりサントリーDHAを
騙されて飲用開始するも際立った若返りの自覚は無い。今年の目標は・・・ボチボチと吾身と相談しながらガンバロウ!
★まずは、北畑へみかんを移植し、現在の南側畑の借地2200uは2020年に返却、残る北畑11000uで農園を続ける
★その為の準備が今年の本番作業になる
★上さんとの旅行も今年も続ける。子供はもう50代に入る。老後の準備に不安はあるが、子供達は元気に自活し、幸せと想う |
2018年を振り返って |
今年(2018年)も、良い年とは言えない。天候が暴れ翻弄された1年だった
★1月23日の大雪後に続いた記録的な寒波で、みかんが深刻なダメージを受け、みかんの樹の2割枯れ、秋の収穫が2割に落ちた
★3月に北畑へ移植予定のみかんの樹が弱り、移植出来ず、秋に14本の移植に留まり、みかん園への意気込みが削がれた
★身体の衰えを実感する。腰・肩が弱り痛い。そして目も劣化が進んでおり不安だ
そんな中
★上さんの強い希望で、台所をシステムキッチンへリフォームした
★国内旅行も夏は白馬、秋は栗駒へ旅行は継続した
★変わった出来事だが、このHPのサーバのジオシテイが業務停止するので、レンタルサーバを探しスターサーバへ変えた。勉強になった
総括すると、”徒然想”は無く、NPO活動も低調の4日で、農作業=130日・1382時間で、私の人生は”百姓”になった
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しからば 2019年はどうする!
年金は減り、身体は衰え、農作業も体力の衰えで心細くなる。しかし農作業は体力維持の為にも継続する。継続は力なり!!!
★北畑へのみかん移植や施設の移転が最大の仕事である。恐らく、この1年はこの作業で埋まる。NPOやその他活動も控える
★時間を造って、国内旅行は継続する。旅行も遠出は難しくなるので行ける内に最大限出掛ける
★親族の兄弟も80歳を超し、心許ない気持ちだが、これは成り行きに従うしかない
結局、やりたいことは山積してるが、体力や周りの環境が厳しくなるので”、気持ちの持ち方を変え”遊行期への準備にはいる
今後、齢を重ね”老後の生活”に移る。”遊行期”の”、第4節の自分” を造っていこう!
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2019年を振り返って
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2019年、元号が変わり、新たな日本の出発詠われた。でも特に台風災害が多い年でもあった。
幸いにも、吾が農園の被害は軽微だった。親族の不幸や、家族の災いも無く、総じて平穏な1年だった。
★北畑へのみかん移植を推進したが、昨年の寒波の影響でみかんの木が弱り、、移植みかんがの枯れが目立った
★ビニールハウスの建築・移設をし、南畑の資材を計画通り移転した。みかん移植も7割方完了し、ほゞ目標通りになった
また我家の出来事では
★上さんと一緒の国内旅行は予定通り、長野県の”水芭蕉鑑賞旅行”と”東北の紅葉と温泉旅行”を目標通り実施出来た
★自宅の工事や身の回りの事件も無く、もっぱら農作業づくめの年になった。NPO活動もしなかった
総括すると、農作業=137日(1516時間)で年間の35%は畑で農作業、NPOは1日のみ、アーモンド研究会が6日だった
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2020年の展望は
2020年7月より耕作面積を3反⇒1反に縮小する。南畑返却の大仕事が目玉になる。そして”遊行期”に入る準備をする。
★南畑撤収作業が前半の大仕事、そして北畑でみかん狩りが規模を縮小して出来るかが焦点になる
★上さんとの国内旅行は継続する。遠出は難しくなるので、行先は少し近場を検討する
★亡き親爺の33回忌の法要で田舎へ帰省する予定だ。孫が中学受験で5月連休に連れて帰る事も検討中
★色々な展望も、運転免許の更新が出来、高齢者ドライバーの安全運転が前提になる。
夢は多いが、老齢との相談になる。”遊行期”をどうするか、見通しをつけねばならぬ |
2020年を振り返って
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2020年、予測外のコロナ禍が世を席巻。幸いにも罹病せず、年が越せた。
収入の影響を受けず、農作業への影響もなく、、禍は少く独善的だが幸運だった
★2020年の大仕事、新みかん園への移転は大成功!。みかん狩り開園した
★コロナの影響を受けたのは
@6月の親爺の33回忌、九州帰省のキップ買うも、コロナ感染防止で帰省を止めた
A旅行は縮小、仲間との懇親会は全て中止、電車・バス等の交通機関は一度も乗らなかった
、★今年も同年配の同級生や親類や知人を失った・・・高齢で止む無しだけど・・・悲しく・寂しい
農作業=126日と没頭し3割は畑で過ごした。従って、NPO活動やその他も殆ど休眠した
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2021年をどうする?
2021年、数え年80歳⇒正真正銘の”傘寿”になる。”林住期”を過ぎ”遊行期”に入る
勤めを辞めて後、ゴルフは止めたが、別荘は買うわ畑に熱中するわで家に居ない、「少し静かにしろ!」 と言われ続けてきた。
足腰の衰え、運動能力や瞬発力もト緩慢になったと実感する。令和3年を機に、神様の思し召し通り、大人しく”遊行期”を過ごそう
具体的にどうするか・・・そう
★果樹園(みかん園)は、軌道に乗っており、農作業は80歳を越してもボチボチ出来るので、欲を出さずに継続する
みかんの他ブルーベリー・キウイ・ブドウ・アーモンド・サクランボ等多種、の果樹は年々成長する。剪定や誘引等をして、
80歳の高齢でも管理できるよう栽培するには、自然に対する知見と技術が要る。自然の奥深さに感動し、自己を高めよう。
★コロナの終息具合を見て、国内旅行や九州帰省、そしてNPO活動などをする。爺臭い老人クラやゲートボール等は気が向かない
★帰省したい心、古里も待ってるが、葬儀で帰ると、旧友と酒を酌み交わすでもなく、寂しい想いに包まれるのが悲しい
いよいよ”傘寿” 人生の終着駅を見据えながら、大切な日々を楽しむ心掛けで暮そう
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2021年(令和年)を振り返って |
コロナ禍が1年中続くとは予想しなかった。人間の奢りに対する天罰とも想える。幸いに近親者には感染者が出なくて幸運だった
孫を連れて九州へ帰省しようと計画したが今年も果たせなかった。電車やバスには一度も乗らず、移動はもっぱら車になった
★そんな中で
@ミカンの移植は成功したかに見えたが、1〜2月の寒波とカラカラ天気ダメージを受け、落葉し枯木も発生し、大凶作になる。
A80歳を越し、体力の衰えを痛感する。足腰が衰え趣味の登山も躊躇する。また、今年も同年配の同級生や親類や知人を失った。
B5月に白内障の手術を受けた。運転が安全な様に、近視から正常焦点に変えた。パソコンや文字を読むのが老眼になり不便だ。
★そんな中でも
@何とか登山は継続した。知人のM氏と妙高山系の火打山登山は想い出に残るが、体力の衰えに勝てず、全ての登山者に遅れた。
A秋には単独で赤城山の地蔵岳に登山。1時間程度の登山ならユックリなら登れる。
Bミカンはダメだったが、ブドウは豊作で、サクランボも始めて実った。やはり、農作業の果樹栽培は本当に良かったと想う
農作業は110日、1年の3割りを過す。NPO活動は低調、S氏の”ギターと歌おう”の企画は楽しかった
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新年を迎え ”1年の計は正月に有り”、と想い考えた
昨12月に、コロナは一旦落着き喜んだもだのも束の間で、今年に入り第6波が来た。まだ油断は出来ないが・・・
2022年は80歳を越し”遊行期”に入る
幸いにも、ボチボチと農作業は続けられそう。車の運転に注意し、無理をせずに農作業を楽しもう
★コロナの終息具合を見て、国内旅行や九州帰省、そしてNPO活動などは計画する。
今年も生きてる喜びを感謝しながら、余生を楽しもう
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